児童虐待-市町村の子育て支援に望むこと

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 今月もまた児童虐待の事件の報道がありました。毎日、満足げにご飯をほおばる息子のうれしそうな顔を見ていると、どうしてそんなことができるんだろうと思います。一方で、虐待に至るまでの親の気持ちの一端はわかるような気もします。 

 私たち夫婦は、望んで望んでようやく息子を授かりました。そんな私たちですら、初めてのことなので当たり前ですが、育児は勝手がわからず、自分たちの思い通りにはならず、ときには声を荒げたりもします。

 昨日も、いたずら顔をして私の腕をつねってくる息子の手を振り払ったし、ぐずって泣き続ける息子をだっこするのに疲れて、床にしばらく放っておきましたし。せっかく作ったご飯を、遊び食べされるとカチンときます。また、子どもがいなければ簡単にできたこと(仕事、趣味、余暇、勉強、外出など)ができないストレスも当然あります。 

 でも、息子の笑顔をみたくてウキウキしながら帰宅して、寝るまで一緒に“かくれんぼ”や“だるまさんが転んだ”をして楽しんでいます。うきうき帰宅できるのも、私たち夫婦と同じくらい、保育園の先生たちと保育園のお兄ちゃん・お姉ちゃんが息子を可愛がってくれているおかげです。実家の両親もいざというときには駆けつけてくれますし、病児保育のシッターさんも信頼できる方です。

 昔の大家族、地域の助け合いが果たしてきた機能を、今は自分で意図的につくらないと育児が孤立化してしまいます。仕事をしていれば、保育園などと自然と「つながる」ことができます。仕事をしていれば、職場の人やお客さまとの「つながり」もあります。でも、仕事をしていないと、「つながり」をつくるきっかけを自分から作らなければなりませんし、「つながり」を保つ努力も自分でし続けないとなりません。大変なことですね。 

 親が、「遊びたかったから」「やりたいことをするのに子どもが邪魔だったから」といった、身勝手な理由による虐待報道を多く耳にするにつけ残念でなりませんが、「子は宝、親としての責任」といった精神論では、児童虐待はなくなりません。 

 だからこそ、すべての子育て家庭がひとつでも多くの地域の資源(人や組織など)につながっていて欲しいのです。市町村の子育て支援に望むことは、子育て家庭が「つながる」橋渡しをすることです。

 たとえば、『こんにちは赤ちゃん事業(平成21年4月児童福祉法の改正により、生後4か月までの乳児のいる家庭すべてを市町村が訪問する事業)』というものがあります。確かに私も息子が4ヶ月のときに訪問は受けました。でも、保健師さんから子育て支援関係の印刷物を受け取り、うつ病スケールの調査票を記入してくださいと言われ記入しただけだったのです。 

「情報は渡したから、後は自分でどうぞ」ではなく
「情報を伝えた上で、地域の資源(たとえば子育て支援センター)につながりが持てるような橋渡しを一歩踏み込んでやる」

「管轄が違うからできない(縦割り)」ではなく
「子どもにとって一番望ましいことをやる」 

 市町村には、たくさんの事業をやっていますというのではなく、今取り組んでいる事業一つひとつを「子どもにとって一番望ましい結果をもたらしているか」、「どう仕事のやり方を変えたり工夫したらいいか」と、もっと考えてやって欲しいと思います。

 【参考】
厚生労働省・政策レポート「児童虐待関係の最新の法律改正について」(2011年8月1日掲載)
http://www.mhlw.go.jp/seisaku/2011/07/02.html

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